2016年




ーーー9/6−−− ゲーム感覚 


 昨年の秋のことであるが、引き受けて役に付いていた公民館長の任期が残り半年近くになったので、後任探しの行動を開始した。その相談のため、近所のA氏に会いに行った。A氏は、その二年前に私を公民館長に推した張本人である。その時私は、自分が外来者であり、この地に人脈など無いから、後任探しは責任を持ってやってくれと念を押した。A氏は「そんな事はまかせておけ」と言った。

 ところが会いに行ってその話をしたら、「えっ、そんな事言ったっけ?」と返された。「ちょっと待って下さいよ、ちゃんと約束したじゃないですか」と食い下がると、A氏は、「まあ、これから作戦を立ててやりましょう」と言った。そして、「とりあえず下の地区のIさんに頼んでみたら良いだろう。自分から頼んでもいいが、懇意にしているNさんにお願いするのが良いと思う」と続けた。さらに「あの手この手で話を広げて、いろんな人を巻き込んで、脈がありそうな人に押し付けちゃえばいいんだよ」と言った。そして最後に、「こんな事はゲーム感覚でやらなきゃダメだ。深刻ぶってやっていると、上手く行くはずの事も逃しちゃうよ」と締めくくった。

 結局、後任探しは意外と簡単に決着がついた。何人もの人が手助けをしてくれて候補者を挙げ、影響力がある人のお出ましを頂き、第一候補者を説き伏せて、承諾を得た。他の人にすがってお願いをするということの大切さを、改めて感じたのであった。

 ところで、振り返ってみると、その「ゲーム感覚」という言葉が、特別な響きをもって思い出される。私は生真面目な性格なので、何事も用意周到に、計画性を持って、真面目に取り組まなければ上手く行かないと考えてきた。自分一人で片が付くことなら、その方針でも構わない。ところが、対人関係のこと、相手があることの場合は、それが裏目に出ることもある。予定した通りに相手が動かなくて、失望したり、ふてくされたりして、却って相手の心象を害することがある。あるいは、真面目に対応するあまり、堅苦しい雰囲気になって、相手が引いてしまうこともある。

 ゲーム感覚というのは、相手の出方に応じて、こちらの手を変えるという意味がある。また、事が思い通りに進まなくても、くさったり落ち込んだりせず、状況の変化をむしろ楽しみ、次の一手を繰り出す、というメンタルな意味もある。ゲームというと「遊び、いいかげん」、というマイナスのイメージもあるが、その一方で「臨機応変に、楽しみながら、主体的に」というキーワードも当てはまる。予測できない未来に向けて事を構えるには、そのような心得も大切なのだろう。

 もっともA氏が口にした「ゲーム感覚」には、「どんな事をしても、勝てばいいんだ」というニュアンスも、いささか感じられなくもないが・・・




ーーー9/13−−− 会話が出来てなんぼ


 
今月始めに開催されたグループ展。今回同室となったのは、木漆工芸家のT氏だった。そのT氏から、「大竹さんは本当に自分の作品を売るのが下手ですね」と言われた。ある場面での接客が、まことに手際が悪く、見ていてイライラしたようである。しばらくして部屋に戻ってきたT氏の奥様にその話をすると、「あの人からそんな事を言われるようじゃ、大竹さんは相当重症よ」と笑われた。T氏も、傍から見れば、とても商売上手とは言えないお方である。

 奥様はショップの経験があるので、商品の売り方は心得ている。私が、「こういう場での接客や販売に関しては全く不器用で、我ながら情けないくらいです。もっと上手くやる秘訣はありますか?」と聞くと、奥様はきっぱりとこう言った「作家というのは、自分の作品を売るのが下手なものよ。両方出来る人なんかいないわ」

 他の人の作品なら、大胆に売り込みを掛けられる。今回も、T氏が不在の時に、私はT氏の作品の前に立ったお客様に対して、作品のレベルの高さやその見所について、よく説明をした。自分でも驚くくらいに、スルスルと言葉が出た。お客様たちも、私の説明が響いた様子だった。購入までは至らなかったが、かなり深い関心を抱いたのは確かだと思う。プレゼンテーションは上手く運んだのである。

 他人の作品についてなら、能弁に語ることが出来る。だから、接客が苦手というわけでも無さそうである。ところが自分の事となると、さっぱり覇気が無い。自分の作品に自信が無いというのではない。むしろ、このジャンルではハイレベルの物を作っているという自負心はある。では何故、それをストレートにお客様に伝えることができないのだろうか?

 最終日の前日の晩に、メンバー全員で懇親会が持たれた。隣に座ったA氏と、向いに居たS氏が、展示会における売り方の話を始めた。A氏は、自他共に認める、売り方の達人である。当面の大きな関心事がテーマに上ったので、私も会話に加わった。

 A氏はいくつかのポイントを指摘した。それらをいちいちここでは述べないが、基本的な心構えだけ紹介しておこう。それは、「会話が出来てなんぼ」ということ。お客様とお話をすることが、商売のスタートポイントだと言うのである。それは当然の事だと思うけれど、それが難しいのですと返すと、A氏は意外な事を言った。会話に入るためなら、とりあえず話題は何でも良いが、一番良くないのは、いきなり「いかがですか?」と聞くことだと。これには正直驚いた。私など、この言葉が、会話に入るための最も適切な言葉だと思っていたくらいである。

 それでは、どういう話題が会話を始めるのに好ましいのか。例えばということでA氏が挙げたのは、「出身地の話」だった。地方で展示会をやると、「信州のどちらですか?」とか「知り合いが長野にいる」とか言われることが多い。そういう言葉を掛けて貰えるように、展示にちょっとした工夫をするのも大切だと。

 「会話が出来てなんぼ」とは、そういうことだったのである。




ーーー9/20−−− 飲み会のスタイル


 長女の旦那は、製造業に勤める研究者だが、飲み会が多くて困るとぼやく。企業の社風にもよるのだろうが、一般的に製造部門を持つ会社は、昔ながらの人情路線が色濃く残り、酒を介しての人間関係が重視されるようだ。社内の飲み会では、どうしても仕事の話が出る。仕事の内容や、自分の境遇について、不平不満をぶちまける輩も現れる。そんな席では、酒の味も悪く、楽しく酔えないと婿殿は言う。

 私が若い頃勤めていた会社は、設計業務が主な会社であったが、もともと親会社の工場の工務部門から独立したという背景からか、やはり酒好きが多かった。私も嫌いな方ではないので、進んで飲み会に参加した。入社してから30歳前後までの間は、しょっちゅう職場の仲間たちで飲みに行った。二日と空けずに飲み会を重ねた時期もあった。若手から管理職まで一緒になって飲み屋へ繰り出し、カラオケなどは一切やらず、ひたすら飲んでは語り合った。

 今から考えれば、よくもまあれだけ話題があったものだと思う。サラリーマンの酒席の話と言えば、上司の悪口と、女と、ギャンブルというのが相場だった時代だが、その手の話題は我々の間では出なかった。代わりに、多種多様な雑学の世界、趣味や特技の分野、過去の失敗談など、他愛も無い話に打ち興じた。それぞれのメンバーが、豊富な話題のバリエーションを持っており、また話し上手、聞き上手だったのである。もっとも、酔っ払いの常で、同じ話題が何度も登場したこともあったが、そんな事も楽しい、気心の知れた飲み会であった。

 同じ会社の中でも、飲み会がひどく荒れる職場があったと聞いた。毎回必ず怒鳴りあいになり、時には暴力沙汰にもなったらしい。にもかかわらず、頻繁に飲み会を設けていたそうだから、鬱積した不満のはけ口という位置付けだったのか。それでもさすがに自浄作用が働いたらしく、ある時点から飲み会のルールが定められた。酒席での話題を限定したのである。まず仕事の話や、上司、同僚の悪口は厳禁。そして、好ましい話題は、「子供の頃の遊び」や「出身地の方言」などと決められた。なんだか涙ぐましいような努力が感じられた。

 さて、私自身の事に戻るが、30台も半ばに近付くと、急に飲み会が減った。仕事が忙しくなり、出張なども増えて、メンバーが揃わなくなったのである。それでも飲み会癖は抜けず、職場の年若い社員を誘って飲みに行ったりした。若い連中は、誘いに応じてくれることが多かったが、時には別の用事があるのでと断られた。飲みに誘われて断るなどというのは、自分の若い頃には無かった事である。また彼らは、飲んでいてもペースが遅く、あまり酔わないし、乱れない。飲み過ぎると、翌日の仕事に差し支えるからだという。これも自分には思い当たらない新現象だった。

 そんな状況だったので、次第に若い連中と飲む機会も減った。職場で夕方になると、そわそわしている自分を感じた。それでも飲み会の目途は立たず、寂しい思いをした記憶がある。




ーーー9/27−−− 木工にアイロン


 アイロンは、木工作業に役に立つ。そう言うと、不思議に思われるかも知れないが、材に打ち傷が付いた時など、アイロンを使えば直すことが出来る。凹んだ部分に水で湿らせ、濡れた布で覆って、その上からアイロンをかけるのである。こうすれば、よほどひどい打ち傷、木の繊維が切れてしまっているような場合を除いては、綺麗に元通り平らになる。他に打ち傷を治す手段は無いから、アイロンの存在はとても有り難い。

 このように、アイロンを補修に使うというのは、いわば木工の常識であり、私は技術専門校で教わった。それから今日まで、何十回と無くアイロンに助けられた。材をぶつけて打ち傷を作るなどというミスは、木工家の恥ではあるが、実際の作業においては、絶対に起きないと断言できる事ではない。ミスというものは、どんなに注意をしていても、起きてしまうものなのである。

 さて、アイロンが役に立つということを、さらに大きなインパクトを伴って目撃したことがある。5年ほど前の事だが、ある木工の講習会に出かけた。題目は「アイロンによる曲げ木講座」。その題目を見て講習会への参加を決めたのだが、正直言ってあまり期待はしていなかった。薄い板を、ちょろっと曲げるくらいの事だと思っていたのである。ところが、実際は予想を大きく上回る内容であった。

 講師は関西から招いた木工家。私と同じように、家具を作っている。木工家具製作に於いては、木を曲げる技術すなわち「曲げ木」が、一つの重要な技術分野として位置付けられる。木材を曲線状に加工する場合、単に板を曲線に切り抜いたのでは、繊維が途切れて(これを目切れと言う)、強度が確保できない。例えば、U字型の部材を作る場合、板を切り抜いただけでは、飾り物ならともかく、強度を要する条件下では、目切れの部分で破損してしまう。

 ではどうすれば良いかと言うと、方法は三つある。一つは目切れが起きないように部材を繋げてU字形にする方法。繋げる部分は、接着ということになるが、その強度を確保することが、ポイントになる。二つ目は、薄い板を曲げて重ねてU字形に固める方法。積層という技術である。三つ目は、曲げ木。真っ直ぐな部材を曲げてU字形に加工する方法。無頓着に曲げれば、折れてしまうから、材を曲がり易く処理する必要がある。そのために加湿や加温をする。

 これら三つのうち、曲げ木の技術が一番歴史が長く、また応用範囲も広く使われてきた。木材を曲線に加工したいという願望を、比較的簡単な道具立てで叶えてくれる、画期的な技術だったのである。かと言って、そう易々と出来ることではない。それぞれの製作現場で、様々な工夫が重ねられてきたに違いない。

 民芸家具の職人の工房で、曲げ木の作業を見たことがある。ウインザーチェアーと呼ばれる様式の椅子の、アームや背もたれを曲げ木で作るのである。加工の順番としては、まず曲げ易そうな材を見極め、選別する。次にそれを水に浸して、十分に水分を含ませる。それを鉄板で作られた特製の釜で煮る。これらの工程は、数時間単位のものである。熱いまま釜から取り出された材を、曲線の型に沿わせて曲げる。材をそのまま曲げると、外側がはじけて割れてしまうので、事前に鋼鉄の帯が材の外側に沿わせて取り付けてある。曲げたままクランプで固定して、数時間おく。最後に型から外して終了なのだが、水分が抜ける間に少しずつ曲がりが戻ってしまうので、U字形に曲がった部材の両端をロープなどで引っ張って拘束する。そして、完全に乾くまで、数日〜数ヶ月おく。このように長い時間と手間がかかる加工だが、失敗して割れてしまう場合が結構ある。大規模な設備を持つ工場なら別だが、個人規模の工房では、曲げ木はなかなか大変な事なのである。

 さて、前置きがずいぶん長くなったが、アイロンの話に戻る。曲げ木講習会で実演された方法は、こんなものであった。3センチ角で長さ150センチほどの乾燥したサクラの角材を、濡れた布で包む。その上からアルミホイルで包み、アイロンをかける。時間は30分。それから、アルミホイルで包んだまま、型に沿わせてU字形に曲げる。曲げる工程は、従来の方法と同じである。しかし、温度が下がれば、型から外しても、戻りは無いという。そして、失敗は無く、100パーセント成功するとのこと。

 上に述べた従来の加工法と比べれば、まさに画期的である。家庭用のアイロンだけで、短時間に曲げ木ができるのだ。講習会に参加した木工家たちは、多少なりとも曲げ木の難しさを知っているからであろう、そこらじゅうで驚きの声が上がった。よくもまあ、こんな方法を考え付いたものである。

 私もそれ以来、アイロン曲げ木の技を採用している。3センチもの厚さの部材を曲げることはほとんど無いが、薄いもの、小さなものを曲げるのにはよく使う。とても便利で、助かっている。





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